ビキニ水爆 第五福竜丸展示館

 

 東京、JR京葉線新木場駅から徒歩10分程の夢の島公園内にあります。

夕方に行ったので既に閉館していたので、中は見られませんでした。

 

ビキニ水爆 第五福竜丸展示館(道案内) 

 

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 展示館正面

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 展示館側面

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 正面拡大

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 第五福竜丸展示館

この展示館には、昭和29年(1954年)3月1日、太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験による被害を受けた木造のマグロ漁船「第五福竜丸」およびその付属品、関係する資料を展示しています。

日本の木造船による近海漁業は、今日でも行なわれていますが、かつてはこのような木造船で遠くの海までも魚を求めて行きました。

ここに展示してある漁船は、昭和22年(1947年)に、和歌山県で建造されたものです。肇はカツオ漁船でしたが後にマグロ漁船に改造され、遠洋漁業に活躍したもので、上記の被爆後は、改造されて東京水産大学の練習船として使われ、昭和42年(1967年)に廃船となりました。

東京都は、このような遠洋漁業の姿を船の実物によって知っていただくとともに、原水爆による惨禍がふたたび起らないようにという願いをこめて、この展示館を建設しました。

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 エンジンの展示

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 第五福竜丸エンジン触知図案内板

このエンジンは、昭和29年(1954年)3月1日に太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁で、アメリカが行なった水爆実験によって被害を受けた「第五福竜丸」で使用されていたものです。

「第五福竜丸」は、昭和42年(1967年)に廃船になりましたが、エンジンは奥地寿太郎氏に買い取られ、同氏所有の「第三千代川丸」に取付けられました。

その後、同船は昭和43年(1986年)7月に三重県熊野灘沖で座礁・沈没し、エンジンは懐中に没しました。

平成8年(1996年)12月、28年ばりにエンジンが海中から引き揚げられました。

東京都はエンジンの寄贈を受け、第五福竜丸展示館脇のこの地に展示しました。

平成12年1月

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 エンジンのレリーフ

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 エンジン展示の様子(後方)

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 マグロ塚

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 マグロ塚

1954年3月1日、米国が太平洋のビキニ環礁でおこなった水爆実験で被爆した第五福竜丸から、放射能に汚染された魚が水揚げされ、消費者の手に渡る前に中央卸売市場の一角に埋められました。このような核の被害が再び起きないことを願って、「築地にマグロ塚を作る会」は募金活動を行ない、募金に参加した大勢の子どもたちと共にマグロ塚を作りました。

本来であれば、この塚はマグロが埋められた築地市場におくことがふさわしいのですが、市場は整備中であるため、暫定的に第五福竜丸のそばに展示されることになりました。

東京都

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 碑

背景の色に引っ張られてホワイト・バランスがずれています

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 原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい

久保山愛吉

 

この想いは叶えられませんでした・・・


au携帯W31Sにて撮影、PhotoShop Elements 4.0/winにてトリミング、リサイズ、レタッチ